ザ・ジャム (The Jam) は、イギリスのロックバンド。ポール・ウェラーを中心にしてロンドンで1977年デビューし、1982年解散した。メンバーはポール・ウェラー (Paul Weller / Vo,G)、 ブルース・フォクストン (Bruce Foxton / Vo,B)、リック・バックラー (Rick Buckler / Ds)の3人。パンク・ムーブメントの全盛期にデビューしながら、モッズ・スタイルを貫き、 R&B方面にもアプローチをすることでオリジナリティーを獲得し、イギリス国民の間で絶大な人気を獲得した。解散した現在でもなお、イギリスでは強く支持されている。
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1976年、ロンドン・パンクロック・エクスプロージョンの喧騒からデビューし瞬く間に群を抜いて人気をあげて行ったのがポール・ウエラー率いるJamだった。 トリオのファッション、ヘアー・スタイル、音楽がイギリス60年代中期に起きたモッズを基本としていて他のパンク・バンドより個人的には親しみやすかった。 Modsとはmodernistsを略した当時のモダン・ジャズやリズム・アンド・ブルースを好みフェデリコ・フェリーニ監督1960年作の映画、La Dolce Vita(甘い生活)に 登場するスリムな三つボタン・スーツやシューズ、ブーツなどのイタリアン・ファッションを取り入れ、更にヴェスパやランブレッタのスクーターを独自に 飾り付けをし仲間同士でクラブやパブに夜な夜な繰り出していた。週末にはロンドンや近郊から南部の海辺にある行楽地ブライトンに集結し Teddy Boys(ロックン・ローラー)と抗争する社会現象にまでなったこともあった。

一方、英国中部の工業都市バーミンガムと隣のコベントリーには戦前戦後と多くのジャマイカ移民が住みついた事からレゲエ以前のリズム、スカを取り入れたバンドがロンドンのパンク・シーンに登場した。
スペシャルズ、ザ・ビート、セレクターズそしてロンドンからはマッドネスなどがその後続となる。今、振り返って見ても1976年を境に翌77年2月に迎えるエリザベス女王陛下在位25年記念祭などで世相が沸く中、 イギリスの音楽、ファッション・シーンも革新に向かう兆しが感じられた。まず、メイジャー・レーベル主体だった

レコード業界に石を投じたのがインディペンダント・レーベルの先駆者、Stiff Records。共同オーナーの一人であったデイヴ・ロビンソンはロンドン北部イズリントン地区 (ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツの出生地)にThe Hope & Anchorというパブを経営し小さいながらもレコーデング・スタジオを備えていた。 この条件下でニック・ロウ、エルビス・コステロ、イアン・デューリー、ダムド、マッドネスなどをスティッフからデビューさせたものの翌77年にはロウとコステロは離れ、
レーダー・レコーズを立ち上げ自身の作品を発表しつつ プロデューサーとしても活躍しロウはプリテンダーズ、コステロはスペシャルズなどを手がける。 このインディーズの精神は英国各地の若者に刺激と影響を与え様々なバンドそしてレーベルが動き始めた。元々はニューヨーク・バンクの動きをいち早く現地でキャッチし75年に セックス・ピストルズを作り出したマルコム・マクラレンは同時にメディアへニューヨークの情報を的確に紹介し翌年にはラモーンズ、パティー・スミスがロンドン遠征を果たす。 その後もテレヴィジョン、トーキングヘッズ、ブロンディーと続きロンドンが彼等にとってイギリス全土そしてヨーロッパへの登竜門となりバンク・ロックは加速し進化して行く事になる。 1979年イギリス初の女性首相にマーガレット・サッチャーが就任。公営企業の民営化に始まり数々の経済改革を断行し更には移民規制とサッチャリズムは「鉄の女」の異名をつけられた。 同年には映画、Quadrophenia(邦題:さらば青春の光)が公開され若者たちの暴走、愛、挫折などが皮肉にも当時のイギリス経済不振を反映しているかの様だった。 それから30年経った2010年10月に開催された東京国際映画際でイギリス映画Brighton Rockが出展され再びモッズ・スタイルが注目されそうなので要チェック。The End
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